2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
親鸞は実は慈円の弟子でもあった。 wikipediaによると 治承5年(1181年)9歳、叔父である日野範綱に伴われて京都青蓮院に入り、後の天台座主・慈円(慈鎮和尚)のもと得度して「範宴」(はんねん)と称する。 伝説によれば、慈円が得度を翌日に延期しようと…
せっかく慈円のことに興味が出てきたので、調べてみることにした。 慈円は九条兼実の弟という事なので、九条の家司であったかもしれない中原久経と一条能保の家司であった中原政経のいた、時代・どのような世界で働いていたのかが少しは垣間見ることができる…
平家物語の周辺に登場する「慈円」(1155年~1225年) 父は関白藤原忠通、母は藤原仲光の女加賀。 二歳で母に、十歳で父に別れ、権中納言藤原経定の未亡人に養われた。 愚管抄の作者でもある。 其の藤原経定とは?どのような人物であったのだろうか? 藤原経…
人康親王のことではないか?という人物を「山科の禅師の親王」という話に登場させているのが伊勢物語で、親王にプレゼントする石の話なのだが、送り主の「おもてなし」の気持ちがどんどんエスカレートしふくらんでいくあたりが面白い滑稽話のような雰囲気の…
コトバンク「『平家物語』成立の背景には慈円の保護があったとも伝えられている。」 この意味を考えてみる。 信濃前司行長は九条兼実の家司ではあったが、信濃守にはなったことがなく、下野守であったそうだ。其の兼実の弟が慈円なので、知り合いであったの…
琵琶にいざなわれ、興味が出てきて、その世界を少し調べてみることにした。 https://web.archive.org/web/20160912080402/http://blogs.yahoo.co.jp/hikojuro/25447777.html 和歌山の九里が関係していた 熊野本宮近くの【大智庵】は・・・ 小野小町攷: 王朝…
中原有安の養子であった「景安」は「文机談」に詳しいブログ様によると藤原孝時入道が景安の家の前をちょうど通りかかった際に呼止め…とあり、その時に東国へ旅立つことの決心を語ったそうである。 http://houteki.blog106.fc2.com/?mode=m&no=926 この藤原…
九条兼実の家司 中原有安 は 『兼実の琵琶の師』でもあったそうである。 https://ch.kanagawa-museum.jp/uploads/kpmrr/kpmrr046_2019_watanabe.pdf 面白い小論文を見つけた! 中世の貴族と日記 ー玉葉を中心に 佐藤英子 著 その中の一文 ↓ 【『玉葉』に九条…
今年は、鈴蘭が一か月近く早いです!(北側にあるので、いつも6月の声を聴いてから咲くのです。) 五つ花弁を見つけることができましたら、幸せになれるのなのだそうですよ~~♫
昨年は一房も花を付けなかったライラック、二株。 紫も、白も、枯れたか‥‥と思っていたのだが、 この冬の大雪に生命の危機を感じたのか、急に活性化して元気になり、ライラックのみならず花々は全体的に生き生きしている。 長く閉ざされた雪の下。 そこから…
勝手にコラボさせていただいております。 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/59879f745476bfd5fbbc9476a7a2fb46 新古今和歌集の部屋 都名所圖会 平安城首 西行水 さて、4つの地図による比較をしてみようと思います。 いつみのぬしかくれて、あとつたへたり…
以前考えた時にはどのような地図を見ていたか?を思い起こしておりました。 Jikan様よりの細かな情報 ↓ 『京師地圖によれば、西行水は、龍池町の南にあったので。』 龍躍池の南と思います。(最後にはちゃんと龍池町南になりました。) ポイント、親鸞上人宅…
勝手にコラボさせていただいております。 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/59879f745476bfd5fbbc9476a7a2fb46 新古今和歌集の部屋 都名所図会 平安城首 西行水 http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/sp/index.html 平安京オーバー…
【日置】に関する情報が出てきた。 測量士の役目を果たしていた日置部氏 以前近江八幡日牟禮神社を調べていた際に登場していたはず。 今度は、中原光氏と関係している。 本来は左方兼東大寺の鋳物師たちをまとめる役目だったのだが、狛近真が興福寺の楽人で…
中原光氏と検索している際に、楽人とは別世界の左方兼東大寺 鋳物師惣官に補任という人物に逢った。 同一人物だろうか? 右方・左方・東大寺 のそれぞれの鋳物師がいたのだと思う。 その左方と東大寺の鋳物師たちをまとめる役目と思う。 「左方兼東大寺鋳物…
他の方のブログで「弁天様」を取り上げていらっしゃる方がいらして、私も思い出したことがあるので書き留めておこうと思う。 以前から、どのような経緯で鎌倉にも中原祐安(有安)をはじめとする楽人たちが関わってくるようになったのかが気になっていた。 …
保内商人のまとめ役?調整役?だった【源員定】は、九里ではないだろうか?と言われている人物。(蒲生郡史) 其の裔に【九里四郎次郎員秀】がいたと思う。(員が通字・同じ役目) コトバンクより 保内商人とは 中世に近江(おうみ)国蒲生(がもう)郡得珍保(と…
過日の櫻、後に見えていたものも、全て散りました~~~ 本日は散歩に出てから、ちょっと曇り空になってしまいました。 この山櫻が最後でしょうか。 パークゴルフ場の方では、まだ咲いておりましたね。 *** 今朝の話です。 昨日から、急に暑くなってきて…
4月23日に注文し、ゴールデンウィークを挟んでしまったため、先ほど届いた。 さてさて、ちょうど九里員秀を話題にしていた所なのでタイムリーである。 ほかの方の論文では、九里の先祖の先例となる判断があり、それに従ったとあったような記憶がある。が、…
三村庄を調べている際に、出てきた人物がいる。 【紀太孫左衛門】 https://kyotofukoh.jp/report505.html https://www.city.yawata.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000004/4633/20180121sympo.pdf 近江八幡の八幡は、石清水八幡の八幡でもあり、宇美八幡宮にも…
野田氏が関わり、また、九里氏も関わっていたのが『三村庄』であった。 野田氏は他に『速水荘』『河道荘』を担当していたようであり、文書が残っている。(東寺百合文書) 九里氏も関わった『三村庄』に関して、調べてみようと思う。 コトバンク 近江国にあ…
六角氏頼は1354年に政界復帰しており、更に近江守護にかえり咲いていた。 という事は、野田氏は氏頼の許で働いていたことになる。 備中大夫判官家人野田氏で合っていたのだ。 良かった! 中世後期近江国蒲生郡下部・上部《境界地域》と佐々木六角氏(著 若林…
戦国大名佐々木氏の基礎研究(著 村井祐樹)の中に野田氏について少しだけ書かれていたので書き留めておこうと思う。 『・・・一方、この頃の東寺側の訴状には野田五郎左衛門なる者の濫妨停止を求める訴状が頻出し、最大の問題が野田の排除であることがわか…
加賀美遠光は源義光(新羅三郎)の孫である。 という事は、頼義・頼信・満仲と遡ることができる。 源頼信は石見国国司であったことがあり、その目代には清原氏がいた。 頼信が歿した後のことだが、久利氏も石見国にいて、清原氏が久利氏となったという事であ…