まず、三村荘の代官に宇野教意という人物がいたのだが、なぜか東寺 百合文書のデジタルに【宇津呂】の文字が見える。


もしや、宇津呂氏が宇野氏に養子に入ったのではないだろうか?
なぜなら、同じ【意】の文字を使った名前が宇津呂氏にもあるのだ。系図の中の貞高の註に【正意】とある。
宇野教意は、三村荘の(宇津呂の領地の中にある)代官である。

宇津呂貞高(正意)と、宇野教意は、活動の年代が50年ほど離れているので、孫の代に宇野教意がいることになる。
宇津呂貞高(正意)は、永和四年(1378)・康暦二年(1380)・永徳二年(1382・橋本名主)

宇野教意は正長元年(1428)あたりから、永享九年(1437)あたりまでの活躍がみえる。また、宇野教林という名も見えている。



宇津呂に三村荘のほかに、島郷・日牟礼八幡宮があったと思われ、九里氏とも縁が深い場所と思う。
島郷関係と九里の文書も残っているはずである。






この九里高数と高雄・員秀(かずひで)とが同じ系である可能性がある。
そして、上記の宇津呂貞高よりも前の時代(1373年)は、三村荘は野田氏の横妨を止めるために東寺から執権細川頼之・京極高経(高詮)に命がいき、その任務を目賀田氏に託しているようだ。↓


さらに、日牟礼八幡宮の神主となっている宇津呂氏は、同じく日牟礼と縁の深い一井氏・目賀田氏ともつながりがあったとも思える。

右側は、佐々木氏の系図の一井氏の系図である。(櫟井・櫟)


まだまだ、調べていきたいことあがあるが、長くなるので、次回へ。